ども、大宮でございます。

いつ以来だ、エントリーするのw
さすがに今日は大事な日、書きます。

数奇な出来事が重なって、文月さんと"朗読劇ユニットを立ち上げましょう"ということになったのが、一昨年の春。
それから準備を重ねて、1年前の今日(と言っても、書いているうちに明日になってしまいましたが)2月3日、朗読劇ユニットTwoPiecesは旗揚げ公演を打ちました。

自分の劇団、D.M.C.は昨年20周年を迎えたわけですが、旗揚げといえばそれこそ20年前以来の出来事だったわけです。
演劇というものに関わって、そろそろ四半世紀…(コワッ
声だけで演じることの楽しさ、難しさを、相棒・文月さんと一緒にやってきて、またそれに関わってくれた友野さんや多くの関係者の皆さまにも出会い、レクチャーを受けた1年であったかと思います。
絡んでいただいた皆さまに感謝。

劇団の方でも常々申しておりますが、"まずやる側が楽しむこと"をモットーにしています。
そのときの自分たちが持ちうる100%を"目標"にすること。結果としてそれが100%に満たなかったとしたら、それがそのときの自分たちの課題であり、明確に改善が必要な部分が見えてくるのです。

"~しなければならない"、"~するべき"という思考は、あくまで自分の持っている引き出しの範囲内の判断基準。"100%の力を出さなければならない"と考えた瞬間、それは重荷になります。
重荷をしょったまま、楽しんでやることなんてできるわけがない。だったら、その枷を外して"70%の全力投球"を演じた方が、完成度の高いものになるんじゃないかと思っています。
到達点は一緒だとしても、そこに至るルート(=手段)は無限にあるはず。それを1本に絞ろうとするから、どこかで無理が生じるのだと思います。そのルートが通れないなら、他のわき道を探せばいい。それだけのことです。倒れた大木をよじ登って通ろうとするから、通れないんです。

これは、あくまで大宮の考え方であり、他の方からすれば「120%の力を出すのが役者の仕事じゃろ」って言われるようなことなのかもしれません。それはそれで、そういう考え方も存在するでしょうし、否定をするつもりもないです。
ただ勘違いしないでほしいのは「レベルの低いものでも提供しちゃう」ということではありません。
自分たちが背伸びしない範囲でクオリティは維持向上させながら"できること"を全力でやる。これが、大宮と文月さんとの間で成立した、TwoPiecesの本質なのではないかと思います。
それを成立させてくれた、文月さんに感謝。

ちょっと後半は違う話題になってしまいましたがご容赦ください。
これからもTwoPieces、どうぞよろしくお願いいたします。
(大宮)