NT notes

神奈川の朗読劇ユニットTwo Piecesのメンバーが綴る日誌的なもの

■TwoPieces第2版「となりどうし」11/4開催決定!

プーのおばかさん!

文月です。

ひとりで名作読みまくりシリーズ、今回は黄色い毛並みに赤いシャツでおなじみの、ハチミツが大好きな彼の本です。

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「ウィニー・ザ・プー」あらすじ

クリストファー・ロビンのテディベアが言いました。
「ぼくに何かぴったりの名前をつけてよ。」
そこでクリストファー・ロビンは、彼に「ウィニー・ザ・プー」というとってもすてきな名前をつけてあげました。
さあ、クリストファー・ロビンに手をひかれて、プーが階段を降りてきましたよ。
プーと愉快な仲間たちの、かわいくて楽しいお話のはじまりです。

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作者のA.A.ミルンが、息子のクリストファー・ロビン・ミルンに語り聞かせるという形式で綴られるお話。
プーのおはなしは10編の短い物語で構成されていますが、そのすべてがとてもかわいく、そして父から息子への温かな愛情のぬくもりに溢れています。

なにが可愛いって、まず「はじめに」でミルンが読み手にプーの名前について話しているのをピグレット(私の読んだ訳では”コプタン”)が邪魔してきますw

この作品はあらすじ紹介や考察をするようなタイプではないようで、そういったものは浮かびませんでした。ただ、なんだかものすごく読み返してしまう。

どこか哲学的で、とても詩的で、理屈でなく愛おしさが溢れてくる。
胸の内にそっと入り込んで、優しい彩りの花を添えてくれるような作品でした。

癒されたい方はぜひ…!

「美女と野獣」追記

文月です。


「美女と野獣」3連発です!!
いいじゃないですか、素敵なんですもの。

前回、気付いたらルフゥの話ばっかりになっていたので王子の守護者である(と思われる)魔女の目線から書こうかなと。

作中で、従者たちはこう語ります。
「ご主人様は母上を亡くされて以降、厳格な父上に育てられ、あんなにも歪んでしまった。そんな風に育てられてゆくのを、私たちは何もせずにただ見ていた。」

子どもの心が傷つき歪んでしまうほど”厳格”な子育て。
もしかしたらそれは、今では「虐待」になってしまうようなものだったのかもしれません。
それを従者たちは止めなかった。
そしてその罪滅ぼしをするかのように、父の死後(たぶん)わがままにふるまう王子を好き放題させていた。

魔女にとっては、子どもが度を越した厳格さの中で委縮しねじ曲がっていくその場にいるにもかかわらず、まるで家具のように何もしなかった従者たちもまた罪人だったのかもしれません。

ずっと何もしないでいた従者たちが、決して王子の傍を離れずに彼に寄り添い続けたこと。
村人たちからの襲撃を受けたとき、今度こそ勇気をもって立ち向かい、王子を守ろうとしたこと。

それはきっと、魔女にとって彼らを赦すに十分な姿だったでしょう。

もちろんベルが村で野獣を庇う姿から、王子がちゃんと成長し、彼女に愛を返してもらえるほどに愛を注いだことをしっかりと見抜いていたからこそ、魔女は群衆に紛れて(もしくは追って?)城へと魔法を解きにやってきたのでしょうけれども。

従者たちが次々に「物」になっていくシーン、あの目の前で愛する者の命が消えていく描写はあまりに残酷で結末知っていても大号泣でしたが、その分みんなが人の姿を取り戻していく時の明るさが際立って最高でしたね!

余談ですが、原作の「美女と野獣」にはガストンにあたる「ベルへの求婚者」は登場しません。
一方でガストンがベルを「自分の嫁にならないなら」と父親と一緒に牢馬車に閉じ込める様子はシェリー王子が一方的に好意を寄せる娘ゼリーを、「自分を愛さないなら」と牢獄に閉じ込めるシーンに似ているなぁ…。なんて思いました。

基本的に「美女と野獣」は多くの派生形を持つ物語らしいのでガストンみたいなのがいるお話があるのかもしれませんが、「ガストン」というキャラクターが王子(野獣)の鏡…というか、愛を知ることが無かった場合の姿の暗喩だったりするのかなぁ??

さすがに考えすぎですかね?

あ、あとサウンドトラック買っちゃいましたw
マダム・ド・ガルドローブの「アーーーー♪」だけで涙出てくるんですよ…。
芸術的な美声ですよね…。

映画「美女と野獣」(実写版)

文月です。


遅ればせながら、映画「美女と野獣」を鑑賞しました。

…あ、いえ金ロじゃなくDVDで。


文月は基本的に外国の映画はご当地の言葉で観たい派なのですが、今回は日本のミュージカルのトップスターが声優を務めているうえ、その中になんと!文月の大好きな濱田めぐみ様がいらっしゃる!!!ということでまずは吹き替え版での鑑賞。


めぐ様のマダム・ド・ガルドローブ、最高でした!!
確かにあの美しくもパワフルな声はね、武器にさえなる!!
めぐ様最高かよ…(震)。

もちろん、野獣役を務められた山崎育三郎さん、昆夏美さんをはじめキャストの皆さんの演技&歌声もすばらしくて、延々BGM代わりに聴いていたいくらい。
文月、実は主演のお二人とも生のミュージカルで拝見したことがなくてですね…。(主にチケ争奪戦での敗退による)
いつかは生の舞台で拝見・拝聴したいものです。

さて、では全体の感想&考察です。

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映画 Disney「美女と野獣」(実写版)おおまかなあらすじ

ひねくれた性格の、一人の王子さまがいた。
彼は美しいが好きで、城ではパーティー三昧。
そんな折、一人の老婆が一輪の薔薇を差し出ししばしの雨宿りを乞う。
ところが王子は彼女をあざ笑い、優しくしようとしなかった。
老婆はたちまち美しい魔女へと姿を変え、その冷たい心への罰として彼を醜い野獣へと変えてしまった。
そして彼がそうなるまで放っておいた彼の周りの者たち―つまりは従者たち―も、家具へと姿を変えてしまった。
「その薔薇の花弁がすべて落ちる前に人を愛せる者へと成長し、人に愛してもらわなければもう決して人間には戻れない」
そう告げると魔女は姿を消し、野獣となった王子は心を閉ざしてしまう。
そう、運命の乙女が父を探して、城へとやってくるまでは…。

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原作のときとは逆に、王子目線であらすじを書いてみました。

原作感想文のところで書いたとおり、このDisney版「美女と野獣」はボーモン夫人による童話「シェリー王子の物語」と「美女と野獣」をミックスしたものと思われます。

「シェリー王子の物語」では、シェリーの父である王が善意の仙女・カンディードに「息子が心優しく、美徳のある王になれるようにしてやってほしい」と願い、仙女がそれを快諾してシェリーに助言を与え、過ちを犯したときには罰することで彼の成長を助ける存在となることから話が始まります。

仙女は彼に「悪い行いをしたときに指をちくちく刺して過ちを知らせる指輪」を与え、それを通じて何度も何度もシェリーの小さな過ちを諫め、助言をして反省させます。
しかしシェリーはそれがうっとおしくなり、とうとう仙女が彼に与えた指輪を棄て、すっかり暴君となり果ててしまいました。
見かねた仙女は「あなたは姿こそ人間であれど、そのこころはひどく歪み、醜く恐ろしい怪物となった。その心に見合った姿におなりなさい!」と言ってシェリーを牛のような角が生え、獅子のような顔をして、狼のような四肢をもち、マムシのようなしっぽを生やした化け物へと変えてしまいました。

シェリーは果たして人間に戻れるのか…?

そんなお話。

従って、Disney版「美女と野獣」の王子の城を訪れた老婆(に扮した魔女)は、「シェリー王子の物語」でいうところのカンディードということになります。(もちろん私の考えでは、です)

そうすると、「哀れな老婆に対して親切にしなかった」「人を見かけで判断した」ということでここまで大がかりな呪いをかけた魔女の言い分が分かってきますね。

彼女は王子の守護仙女として彼を見守ってきたのでしょう。
けれど仙女(魔女)がそうそう魔法の力でホイホイ人間にちょっかいを出すわけにもいかないから、厳格すぎる父親と委縮して歪んでいく王子、そしてそれを見て見ぬふりをする従者たちを、自分で成長することを願いながら見守るにとどめつつ、要所で反省のチャンスなどは与えていたのかもしれません。

が、どうやっても王子の性格も従者たちの態度も王の態度も直らないので、真打登場となった、というところでしょうか。

実際、映画の中ではガストンに言い寄られてもハッキリと「無理」と告げるベルの、勇敢で意志のしっかりした姿が見えるシーンにアガット(魔女)がいて、その直後にモーリスは落雷によって道をふさがれて野獣の城へと導かれます。(しかも道をふさいだ木は元通り!魔女の力がはたらいていたことは確かです!)
モーリスが狼から逃げる先で城の門がひとりでに開き、彼を招き入れたのももしかしたら魔女の導きかもしれません。
森に置き去りにされたモーリスを助けるのもアガットですね。

以降、重要なシーンでは常にアガットが意味ありげな表情で民衆に混ざっています。

魔女は王子の守護仙女として彼に愛と美徳を教えるためにあえて残酷な魔法をかけ、彼に愛を教える者を探しながらあの村で王子を見守っていたのでしょう。

一方、この映画のもう一人の野獣について。
そう、ディズニーヴィランズ随一の勘違い野郎・ガストンです。(言い方)
アニメでも実写でも、清々しいほどのナルシスト野郎ですね彼は。
鏡に向かって延々誉め言葉ならべてるシーンとかもう…もう…(;´Д`)

実写版では、彼にもカンディードのような守護者がいます。
彼の大親友・ルフゥです。

アニメ版では「ガストンのこと好きじゃないけど持ち上げとけば損はない」みたいなス〇夫っぽいキャラクターでしたが、実写では作品中で何度も「ガストン、それはよくないよ」「もっとほかのやり方のほうが良いんじゃないか?」とガストンを諫め、ガストンが爆発しそうになると宥め、落ち込めば思いっきりほめて機嫌を直させます。(歌の合間に酒場の連中に次々とチップを渡していく手の鮮やかさときたら!!)
ルフゥはゲイ(もしくはパンセクシュアル)で、ガストンに対して特別な感情が自分の中にあることに気付いている、ということのようですが、確かに作中でのルフゥは心からガストンを心配して、彼が人として間違ったことをするたびに悲しそうな、悔しそうな表情を滲ませます。

愛が深いよ、ルフゥ…。

何度忠告しても、どんなに献身的に彼に寄り添っても、何度でも何度でも自分の思いやりを踏みにじっていくガストン。

それが城へと向かう隊列の中で彼が発した言葉「野獣はいる、俺の目の前にも」だったのでしょう。
自分を平気で踏みにじり、”妻にしたい”というベルとその父親にさえ冷酷な仕打ちをしたガストンに、ルフゥも愛想を尽かしたんでしょうね…。

そのうえ、ここまであれだけ全力で自分を支えてきたルフゥを、ガストンは平気で盾にしてしまうんだもの。
ガストン、ひどい。ひどすぎる。

ポット夫人の「アイツにあなたはもったいないわ!」が最高にクールでしたが、「ガストンの味方だったけど、最近うまくいってなくてね」という台詞をサラリと笑って言ったルフゥの、どこか寂しそうな表情がとても印象的でした。

大団円のラストシーンで、ルフゥがへっぽこ三銃士の一人の手を取った瞬間ぱっと目を見開いて、明るい表情が見えたので、もしかしたらルフゥにも希望がさしたのかな?と嬉しくなりました。

そうそう、このラストシーンでめぐ様の「美女と野獣」が聴けたんですよ!!
もう嬉しくて嬉しくて!!!

よし吹き替え版のCD買おうってなってます。

以上、文月の実写「美女と野獣」感想でした♪

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